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使用感の無い極薄モグラ記

再開
201 hrk 2006-04-12 00:50 permalink
MOTHER3 予約した。

ゲーム予約するなんて初めてかもよ。これ。マーザスリ〜(マザー2のCMのメロディで)
http://www.1101.com/MOTHER3/
ゲームの発売日を事前より楽しみにし続けて、発売日にウキウキと買いにゲーム屋さんに行く、というのは多分、「ゼルダの伝説 ふしぎの木の実」以来だよ。あ、これそんな昔でもないか。大学生だったし。でも予約とかするのは初めて。こればっかりは発売日に買えないと次の入荷まで悶々と煩悶するコトになりそうでさー。

ちなみにビックカメラでは予約終了!と言われたし、アマゾンは発売日に届かない(と2ちゃんねるで脅された)ため、セブンイレブンで予約したよ。近くのセブンイレブンまで届けてくれるらしい。自宅にお届け、だと大体会社に行ってていないので、こっちのが全然便利だなあ。しかも「買いに行く」イベント感も残ってて楽しいよね。

前作、マザーの1と2ではどちらも、ゲーム中にゲームの「プレイヤー」の名前を尋ねられるシーンがあった。リアルタイムでマザー1をやっていた小学生の頃、これに非常に混乱させられた。というのは、「プレイヤー」と、「ゲームの主人公」の区別がついていなかったためだ。当時はRPGのキャラクターの名前として自分の名前をつけるのが当たり前で、「はるか」なんてつけていたわけで、なんでゲーム開始時点で入力した自分の名前を、ゲーム中盤でもう一回訊ねられるんだ?と不思議に思った。(これはエンディングのスタッフロールにプレイヤーの名前がクレジットされる、というギミックのためのものだったんだけど、その真意はマザー2をクリアするまで、理解できていなかったと思う。)

だけどそうしていたのはおそらく小学生のぼくら、ぐらいで、大人達はゲームの主人公に、もっと相応しい名前を(現実世界をオトナとして生きている自分を表す名前より、物語の世界をこれから生きる子供達にもっと相応しい名前を)つけていたんだと思う。それは当時の「マザー」の攻略本「マザー百科」を読んでもわかる。「マザー百科」には各界の著名人(すぎやまこういちとか、中沢新一とか)からの「マザー」への一言と一緒に、彼らが主人公達につけた名前が掲載されていて、彼らはみんな自分の名前でなく思い思いの(というか、おそらく彼らにとってのヒーローの)名前をつけていた。というか、それはRPGの成立(「役割を演じる」ゲームであるという)を考えると当然の事で、むしろ「ゲームの主人公に自分の名前を付ける」事が(当時の子供達にとって)一般的であった背景に、おそらく日本独特の事情があるのではないか、と考えているのだけれど、それはまた別の話。

マザー2が発売された時には僕は高校生で、殆どゲームをやらなくなっていて、その頃にはゲームの主人公に自分の名前をつける、という行為が十分恥ずかしく感じられるようになっていたので、(だってあいつら世界を救ったり、なんかヒロインといいカンジになったり、何を顧みる事も無く絶対的な正義を行使したりするんだぜ!それが俺なんて!)かわりにちょっとふざけた感じで、もし友人に覗き込まれても恥ずかしくなくて、しかも可愛らしくてキャラクターに感情移入できる様な名前をつけるスキルを身につけていた。具体的に言うと主人公につけた名前は「はみがき」なんだけれども、マザー2では、最後に、その「はみがき」と、その役割を「ロールプレイ」している筈の僕自身とを、徹底的に分断する様なイベントが発生する。そもそもゲーム中にプレイヤーの名前を尋ねる、というメタレベルの遊び自体が「ゲームの中の世界とプレイヤーのいる外の世界」という違いを強く意識させるものなのだけれど、その最後のイベントでは遊びでなく本当にシリアスというか残酷なくらい、2つの世界が全く異なる物である事と、「ロールプレイ」される主人公とするプレイヤーが別のモノである事を突きつけてくる。ある意味RPGというゲームの形式を面白がって遊んでいるユーザーに対する(批判を通り越して)復讐のような内容になっていて、ゲームに強く感情移入していたり、キャラクターに愛着を感じていた人なら怒り出すんじゃないかという内容なんだけど、同時にそのイベントの中で、分断された2つの世界の(ネタバレになるため省略)。そしてその事によって、「はみがき」は永遠に僕の中のヒーローになった。それだけでなく、「はみがき」はマザー2の世界だけでなく、あらゆるゲーム、物語の中に登場する事ができる特別なヒーローになったのだ。なぜなら、違うゲーム、物語、世界に登場する「はみがき」と名付けられたキャラクター達は、マザー2の主人公であった「はみがき」とも、また同じ名前を持つ他のゲームの主人公達とも、もちろんプレイヤーである僕自身とも全然違う世界を生きる別人なんだけれども、それでも彼らと僕の間にある虚構と、また別の虚構と、現実という違いを乗り越える何かは、確かにある!という確信があるからだ。(だって俺はそれを見たんだぜ!)

マザー2はそういうゲームだった。その続編があるなんて、いったいそれはどういうゲームなんだろう。マザー3の2人の主人公の名前(リュカとクラウス)は、アゴタ・クリストフの小説(「悪童日記」から始まる三部作、以下「三部作」)からとられている。作者の糸井重里はこの点について、大好きな三部作へのオマージュとしてのネーミングであり、内容には特に繋がりは無いとしているのだけれど、マザー2のラストはプレイヤーと主人公がリュカとクラウスになってしまうような内容であった。マザー3では、アゴタ・クリストフが三部作で見せたような虚実の境界を弄ぶ残酷な遊戯が、「はみがき」とプレイヤーである自分にふりかかるのではないかという気がして、戦慄しながら楽しみにしている。

(ちなみに、今回は主人公にまた自分の名前をつけるのもありかなと考えている。マザー1から一回り大きくなってマザー2を遊んで、今また1まわり以上成長しているわけで、今はゲームの主人公に自分の名前をつけても全然恥ずかしくないぜ!むしろ世界を救ったり、なんかヒロインといいカンジになったり、何を顧みる事も無く絶対的な正義を行使したりできて気持ちがいいぜ!って感じで。照れくさいくらいの方がゲームでドキドキできそうだしさあ。ほら。)
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